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私の英語勉強歴【社会人編2】そして渡米へ

前回まで:私の英語勉強歴【高校編】
       私の英語勉強歴【大学編1】
       私の英語勉強歴【大学編2】
       私の英語勉強歴【社会人編1】

海外転勤を希望した私ですが、事務員(というか女性)の海外出向の前例がなかったため、会社側が難色を示しました。ということで、上司と二人、外堀を固める作戦。上司は部長達や社長に「やる気のある女性がいる。アメリカに行かせてやりたい」と触れ回りました。私もビザ等で問題が起きないよう、会社を休んで弁護士に相談しに行ったり。それでも「現地人を雇えば安く済むのに・・・」という会社側に対して、「留学するつもりで貯めてきたお金があります。給料は最低賃金で構いません」という捨て身の作戦。最終的に専務と面談ということになりました。しかし面談は形だけで、結局「若いから。女性だから」との理由で海外出向の夢は途絶えました。それが2006年の10月初めのことでした。

もうこの会社で働き続ける気持ちはなくなり(もともと辞めるつもりでしたし)、この面談の次の週末には留学エージェントに登録しカウンセリングを受け、次の月には大学を決め、2007年の1月には願書と必要書類を提出し、2月に合格通知を受け取りました。今思うと、「若い女性」という理由だけで海外出向を断られ(会社側としてはそれだけが理由ではなかったとは思いますが、当時は悔しさからそう考えることしかできませんでした)、会社の力を借りずに自力で渡米して成功して、会社を見返したい一心だったので、異常な行動の速さだったと思います。

しかし渡米は8月。その間、ニートでいるわけにもいきません。会社は2006年12月末で退職することにしましたが、夏までどうしよう。派遣でも探すかと思っていたところ、別の上司から誘いが。入社当時からずっと同じ部署にいた方ですが1月から輸入部隊への異動が決まっていました。異動先の人手が足りないということで、パートでもいいから働かないかとのことでした。もうこんな会社で働くものかと思っていた私は、時給とか福利厚生とかでかなり無理な要求をしたところ、なんと彼、この要求を人事に頼み込んで通しちゃったんです。で断る理由もなくなり、7月半ばまで、同じ会社の別部署でパートとして輸入業務をすることになりました。

パートでしたので、終業時間も早めでしたので、会社帰りに留学に向けて英語学校に通うことにしました。ELSという学校の英語専科に2期(108レベル・109レベル)通いました。ここの授業も本当にきつかったです。とにかくしゃべる時間が長い。スピーチもありましたし、エッセイも毎週提出。私と同じように将来留学をしたいと考えて来ている人が多く、大いに刺激を受けました。先生方(全員ネイティブ)もすばらしく、授業がしっかり準備されていたので、留学直前にこの学校に通って、本当に良かったと思っています。

そして2007年8月、ネブラスカにやってきました。20歳そこそこでやって来る周りの日本人留学生たちを見て、「私は遠回りをしてきたのかな」と思うことももちろんあります。日本の友人たちが次々と結婚し子供を生み、幸せな家庭を築いているのを聞いて、うらやましくも思います。30歳を目前にして学生という、しかも海外に住んでいるという不安はかなりのものです。でも、海外出向を断念したあの時、あのままあの会社で働き続けていたら、、、例え辞めたとしても、転職してそのままどこかで働きつづけていたら、、、今ここで経験していることは全く経験できなかったんですよね。それに「留学すればよかったな」ときっと後悔していたと思います。よく聞く言葉ですが、「やらないで後悔するより、やって後悔した方がいい」というのは本当だと思います。

この日記を読んでいる若い方々、若さは武器です!やりたいことがあるならどんどんチャレンジするべきです。若いんですから、軌道修正はいくらでもできます。ただ、がむしゃらに突っ走るだけでなく、たまには立ち止まって、先のことを考える時間を作ってみてください。やりたいことをやりながら、やるべきことに目を向けることも忘れないでほしいと思います。

そして、同年代また先輩の方々、私のような人間が偉そうなことを言える立場ではないですが、いくつになってもチャレンジはできると思うんです。もう少し早くやっていればとか、私もよく考えますが、時間は戻らないですから。いろいろな事情であきらめなくてはいけないことも出てくるとは思いますが、私はいくつになってもやりたいと思ったことにはチャレンジしていく(少なくとも簡単にはあきらめない)つもりです。

ということで5回に渡った「私の英語勉強歴」シリーズでした。今後また番外編で何か書くかもしれませんが…。英語学校のことや学生時代のこと、勉強法など、もしご質問があればご連絡下さい。全てにお答えできるかは分かりませんが、直接ご連絡するか、いずれ記事にしたいと思います。
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私の英語勉強歴【社会人編1】

前回まで:私の英語勉強歴【高校編】
       私の英語勉強歴【大学編1】
       私の英語勉強歴【大学編2】

さて、商社に入社した私ですが、最初は本当に暇でした。とにかくやることがない。パソコンも与えられておらず、朝出社しても何もないデスクの前でただ座るだけの毎日。やっと与えられた仕事は電話応対・コピー・ファックス・ファイリング・お茶くみ。上司にやることはないか聞いても「ちょっと待ってて」と言われ数時間たつこともしばしば。「辞めたい。私はなんのためにここにいるの?ただ座ってるだけで給料もらって、これじゃただの給料泥棒じゃない?」とにかく暇な日々が続きました。そして、毎日きっかり定時で上がれるので、会社帰りに英会話学校に通うことに決めました。無名の小さな英会話学校に通い始めてすぐ、同じ部署の先輩女性が退職することになり、あわただしく引き継ぎ。すぐそのあともう一人の先輩も体調を崩し突然退職。一気に二人分の仕事が入社1年経っていない私に降りかかってきました。暇な日常から打って変わって来る日も来る日も残業の毎日。英会話学校も通えなくなり、授業料半分くらいは無駄になりました。この後1年くらいは死に物狂いで働く日々が続きました。

後輩も入り、少し仕事が落ち着きだした頃、自分の今後を模索し始めました。このままずっとこの会社にいることはないだろう。転職?転職するには何か武器が必要。でも武器にできるほど英語が得意とは言えない。何か資格でも取ろう!とパソコン教室に通ったり、簿記の学校に通ったりしました。パソコンは楽しかったですし、仕事にも勉強にも活かせていますが、簿記は始めてすぐに向いてないことに気づきました。ただせっかく授業料も払ったし、途中で辞めるのはもったいなかったので、最後まで通いました。今思えば、かなりもがいていた時期ですね。

しかし、このあたりで少し英語を離れたのが良かったのか、「やっぱり私は英語が好きだ」と自覚するきっかけになりました。そして私には敷居が高いと思って最初からあきらめていた「通訳」の勉強に挑戦してみようと思い始めました。そこでインタースクールという通訳翻訳者養成学校の英語専修コース(通訳翻訳クラスには英語力が足りず入れませんでした)を2期受講しました。ここの授業はきつかったです。課題も多く、その難易度も高い。他の生徒さんもやる気がある方ばかりで刺激になりました。

1期目は外人講師の授業を、2期目からはシステムが変わって、プロの通訳者・翻訳者の方が講師でした。2期目が特にきつかったです。通訳寄りの授業ではCNNやBBCの音声を流し、即座にリテンション。私、数語しか取れません。でもみなさん結構聞き取れてる。逐次通訳のようなこともやりました。ここも私はさっぱり。翻訳寄りの授業では、与えられた文書を日本語訳してくるのが課題で、授業中に他の生徒や先生の翻訳と比べて、より分かりやすい翻訳に練り上げていくという感じでした。日本語訳も、きれいな日本語にするというよりも、K/Hシステムでいう「スラッシュリーディング+やまと言葉落とし」という感じで、頭からかたまりごとに訳し、さらに分かりやすく意味が通じないといけません。通訳クラスではなく入門クラスでありながら、日本語を介しての理解という部分に疑問もありました。しかし先生から「英語の分からない人に日本語で説明して理解させられないのなら、本当に理解しているとは言えない」と言われ、日本語に訳す有効性に納得しました。いつもいつも日本語に訳して勉強していたら時間の無駄だし、英語的な感覚も薄れてしまいますが、たまにじっくり日本語を通して理解を確かめるのは有益なことかもしれないと思いました。

このころ、長期で海外に出たいと強く思うようになりました。私は事務職でしたが、ちょっと仕事内容が特殊で、引き継ぎには時間がかかるという理由で、上司から退職するなら1年前に言えと言われていました。(普通は3か月とかですよね)まぁ、この上司は私をすごく買ってくれていて、事務員とは言え、いろいろな仕事を任せてくれており、大変お世話になったので迷惑をかけたくない気持ちもあり、「1年後に辞めたい」と申し出ました。

その後数か月経ったころ、この上司からある提案がありました。それはアメリカにある子会社に行かないかというものでした。このオフィスでメインに扱う商品が、私が日本で扱っていたメーカーのものだったことから、英語もそこそこできる、社内のシステムもよくわかっている、商品の知識もある、メーカーの人間とも親しい、という理由で私の名前が上がったようです。悩みました。そしてこんなチャンスってなかなかない、チャレンジしてみようと思い、その旨上司に伝えました。

あれ?こんな話があったのに、なぜ私はネブラスカに留学してるのでしょう?そう、ここからが大変だったんです。

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私の英語勉強歴【大学編2】

前回まで:私の英語勉強歴【高校編】
       私の英語勉強歴【大学編1】

さて前回に引き続き大学編パート2です。

少しずつ会話にも慣れてきましたがまだまだ、ということで、今度は大学のプログラムではなく、個人で留学しようと考えました。そこで2年生の春休みにカナダ・バンクーバーの語学学校に1か月の短期語学留学&ホームステイをしました。UCLAでの経験から、ここではクラス分けテストで手を抜き、7レベルあるうちの下から2番目のクラスに入りました。(あとから友人に「手を抜くなんてだめだよ!」と怒られましたが)文法の授業ははっきり言って簡単過ぎでしたが、会話レベルはぴったり。初めて「会話が楽しい!」と感じました。ホームステイ先はあまりよくなかったんですが、(ホストファミリーを仕事としてやっている人で、ほとんどただの下宿でした)学校は楽しかった。とにかく通じることがうれしくて、この1か月で会話力が飛躍的に伸びたのは間違いないと思います。

同じ年の夏にも再度同じ学校に留学しました。クラスは二つ上がり、授業は確かに難しくなりましたがUCLAの時とは違って、着いて行ける感がありました。たしかに日本人が多かった(クラスの半数近くは日本人)ですが、日本人とも英語で会話するように努力しました。ラッキーだったのは、私の周りにいた日本人はみんな学習意欲が高くて、英語で話すのを歓迎してくれていたことです。この時はホストファミリーが最高で、夕飯の時たっぷり時間を取って私と話をしてくれたり、週末もいろいろ連れだしてくれたりしました。

そして就職活動が始まります。外語大生の主な就職先と言えば、商社・物流・航空会社・旅行会社・ホテルなどですが、私も商社・物流に絞って就職活動をしていました。確かこの頃のTOEICのスコアは800点を少し超えたあたりだったと思います。まぁ、外大生としては妥当なところでしょうか。

4年生の5月の時点で、行きたいと思っていた商社から不採用になり、早々に焦りだした私は、「国際部門で働きたい。英語を活かしたい」という表現を使わないようになりました。「国際部門」としぼってしまうと間口が狭くなると感じたためです。そして実際就職することになる商社の面接でも、「欠員が出ればいずれ国際部への異動もありえる」と言われ、「それならば最初はどんな部署でもかまいません!」と言い、結局その会社に採用され、国内の営業部に配属になりました。国際部へは私よりもTOEICのスコアは低いけれど、面接で「どうしても国際部がいいです」と言い切った女の子が配属になりました。これを聞いて、どうして私は主張しなかったんだろうと後悔したこともあります。これを読んでいる方の中に今後就職活動をする方がいれば、私からのアドバイスはただ一つ。本当にやりたいと思うことがあるなら主張するべきです。

ただ私の場合、国際部に配属されないでよかったとも思っています。というのは、おそらく私の性格上、国際部に配属されればそれだけで満足してしまっていた可能性が高いからです。実際国際部と言っても、輸出入関連の書類の作成程度の仕事で、海外の取引先とやりとりするのは別の精鋭部隊でした。この辺のことは実際会社に入ってみないとわからないことですが、国内営業に配属されたからこそ、国際部の仕事にも魅力を感じられず、そんな中で自分は本当は何がしたいのかと考えることができたのではないかと思います。

【大学編】なのに就職後の話が少しまぎれてしまいました。社会人としての本格的な話はまた次回。

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私の英語勉強歴【大学編1】

前回:私の英語勉強歴【高校編】

さて、前回に引き続き、今度は大学編です。

外語大に入学ましたが、地獄でした。理系が好きで理系の高校に入学し挫折したのと同じで、またも周りに着いて行けずどん底でした。私はこの頃、一度も日本を出たことがなく、私のような純国産はうちの大学ではかなりまれでした。たいていの子は1~3か月の短期留学経験者。一部は1~2年の留学経験あり。帰国子女もいました。同じクラスには生まれも育ちもアメリカで、自分の名前以外の漢字は知らないなんていう男の子もいました。

高校の頃、洋書を読んだり、英英辞典を使ったり、授業以外の英語にも触れてきていましたが、音を意識した勉強や、アウトプットは全くしていませんでした。しかし外語大の英語の授業は外国人講師によって、日本語NGで行われます。授業の内容がわからない、宿題がなんなのかもわからない、聞きたくても英語が出てこない、、、苦痛の日々でした。

そしてもともとあまり外交的な性格ではなかったため、会話の授業はさらに苦痛。英会話学校とか通ったことある方はわかると思いますが、自分をさらけ出さなきゃいけないじゃないですか。「○○が好き。○○が嫌い。私はこう思う。」と自分の趣味趣向を話さなきゃいけないのになじめず、黙り込むことも多かったです。

このころ初めてTOEICを受験しましたが、確か470点くらいだったと思います。(データが手元にないので記憶頼りです)外大生としてははっきり言って恥ずかしい成績ですね…

まず転機が訪れたのは2年の夏。私の通っていた大学は休みの期間、提携している外国の大学への短期語学留学プログラムがあり、それでUCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校 ビバリーヒルズ青春白書の舞台でおなじみ)の夏期コースに5週間参加しました。うちの大学からは30人くらい参加してました。

初めての海外。でも喜ぶのもつかの間、すぐにクラス分けテストがありました。確か6レベルくらいあって、上から4番目までに入れば後期の授業がいくつか免除になるという仕組みがあり、かなり気合を入れてテストに挑み、上から3番目のクラスに入りました。しかしこれが失敗…。よく日本人はしゃべれないけど文法は得意と言われますよね。このクラス分けテスト、スピーキングはなく、文法・語彙・読解のみでした。他の国からの留学生はたとえ一番下のクラスに入るような人でも、とにかくしゃべるんですよ。なので、私と同じレベルに入った他国の留学生たちは、そこそこ文法もできる上にかなりしゃべれる人たちばかりでした。またも自分の不甲斐なさに泣く日々。

ただ、それまで海外に行ったことがなく、外人といったら大学の講師くらいしか知らなかった私にとって、始めて「英語を介さないと気持ちを伝えられない相手」と、たとえうわべだけの会話でもできたというのは自信になり、その後日本の大学の授業でも少しずつ発言ができるようになってきました。

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私の英語勉強歴【高校編】

今日から、私のこれまでの英語との関わりや留学を決意するまでの経緯を5回に分けて(長…なんて波乱万丈な人生だ。ま、そんなこともないんですが…)書いていきたいなと思っています。2・3日に1本くらいのペースで上げていきます。ということで、まずは高校時代から。

私は小・中・高と公立でしたので、ごく一般の日本の英語教育を受けてきました。中学の授業で初めて英語に触れ、英語は好きな教科の1つでしたが、この頃は理系の授業の方が得意でしたので、高校は迷わず理系の強い高校を選びました。しかし、理系の強い学校に入ってしまったおかげで、理系の授業に全く着いて行けず、入学早々挫折…。その後の進路はすぐには定まりませんでした。

英語は好きで、このころから英英辞典も使っていましたし、易しい洋書などは読んでいましたが、どうも学校の授業は好きになれませんでした。同じ年代の方で英語が好きだった方ならわかるかと思うんですが、なんかあの授業の感じになじめなかったんです。教科書のリストにある単語を覚える。大学受験によく出る文法を覚える。意味が通じる英文を書いても先生の模範解答と違えば不正解。なのでいつもテストの成績は学年で真ん中くらい。決して先生の望む「英語のできる生徒」ではなかったと思います。

私にとって幸運だったのは、2・3年の担任が英語の先生で、私が英語が好きなのに成績が良くならない理由を理解してくれていたことだと思います。(彼はこの当時40代でしたが、私が卒業した数年後、教員を辞めてアメリカの大学院に旅立ったそうです。)こういう先生がいたおかげで英語嫌いにならずにすんだと思います。

このころ一つの転機がありました。私は高校の頃吹奏楽をやっていたのですが、ウィーンフィルオーケストラの方を招いて指揮を振ってもらう機会がありました。本番の前日、彼の指導のもと数時間練習をした際、通訳の日本人女性に大変感動したんです。音楽って言葉で表現するの難しいと思うんです。感じ方というか、ものすごい微妙な表現力が求められると思います。でもこの通訳の方は私たちの質問を的確に指揮者に伝え、指揮者からの指示を的確に私たちに伝えてくれました。「言葉で人をつなぐ」ことのすばらしさに感動したことを覚えています。自分にとってはかなり高い壁だと理解しつつも、通訳という仕事に興味を持ち始めるようになりました。

こんな経験もあり、担任と相談した上、外語大に進むことにしました。外語大に進むと決めたからには、授業のやり方が嫌いだからと言って英語で悪い成績を取り続けるわけにもいかず、授業の勉強に取り組み始めました。3年生の頃には英語だけは学年5位くらいになりましたが、相変わらず授業のやり方には不満だらけ。授業で使ってた文法書でも「この文法項目は受験に出るからしっかり覚えなさい、これは出ないからやらなくてよし」というのがどうしても納得できず、先生がやらなくてよいと言った項目も含め、全ての例文をノートに書き写し、音読し、問題も全て解き、これを2周繰り返しました。これが今の私の文法知識のベースになってるのは間違いありません。

こんな感じで、大学受験を迎え、関東の某外語大に入学するのでした。

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プロフィール

Rico

Author:Rico
東京生まれ 女性
現在アメリカ ニューヨーク州在住

英語を勉強されている方、留学に興味のある方、
コメント頂けると嬉しいです♪
一緒に脱カタコトを目指しましょう!

<取得英語資格>
英検2級(高校生の時にとりました。古…)
商業英語検定Cクラス(2001年)
TOEFL iBT 73(2006年12月)
TOEFL PBT 603(2010年5月)
***ここ最近のTOEIC***
129回(07/3/25) L450 R425 T875
130回(07/5/27) L440 R420 T860
131回(07/6/24) L455 R440 T895
139回(08/6/29) L460 R445 T905
147回(09/6/28) L495 R445 T940
148回(09/7/26) L495 R440 T935
155回(10/6/27) L495 R475 T970
156回(10/7/25) L495 R460 T955
S/W(09/8/9) S170 W190
初受検は1998年で470点くらい
L/R & S/W ともに満点目指します!

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